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感想・備忘録・夏休みの自由研究

11月の履修作品

2023/11の履修作品メモ。

 

小説『デミアン

著・ヘルマン・ヘッセ。訳・高橋健二新潮文庫版)。
人間エーミール・シンクレールの成長を一人称視点で描く物語。特に、キリスト教的規範世界からの脱却を目指す物語。それは規範世界では「堕落」と形容されるが、それは「誕生」ではないか――というのが趣旨だと思う。

「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

p.136

上記の表現に象徴されるように、この物語は卵(=規範世界)から抜け出ようとする話である。
また、

「われわれの見る事物は」と、ピストーリウスは小声で言った。「われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている」

p.169

とあることから、登場人物はシンクレールの内面の反映であると思われる。あくまでこの物語はシンクレールの視点から語られており、シンクレールが語ることができるのは、シンクレールの内部にあるものだけなのである。

冒頭の1章「二つの世界」で「明るい世界(=規範世界,公認された世界)」と「暗い世界(=公認されない世界)」が提示され、シンクレールはリンゴを盗んだと嘘をついたことにより、「暗い世界」に陥る(リンゴを盗むというモチーフは、創世記でアダムとエヴァが知恵の実を盗んだという原罪が意識されていそう)。このとき父がその秘密に感づきもしないことから、父の尊厳(=規範世界の完全性)の不完全性をあばく先触れがある。
2章「カイン」では、新入生デミアンの助けにより明るい世界に復帰することになる。が、暗い世界への憧憬が尾を引く。
3章「罪人」では、デミアンとの交流を再開する。その中で、シンクレールには普段の社交的な側面と、彼の本質的な側面(孤独で超時間的で自己内省的な側面)があることに気づく。シンクレールの内面がデミアンのそういった部分に近づいたことにより、見えるようになったのだと思われる。
4章「ベアトリーチェ」では、デミアンと離れ離れになったことにより、飲んだくれて仲間たちとつるむ(暗い世界)が、しかし孤独であるようになる。そこでベアトリーチェという偶像に出会い、自分自身をみつめる契機となる。
5章「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」では、オルガン奏者ピストーリウスと出会い、社会の規定する善悪を超越・包摂する存在(アプラクサス)についての思考を深めていく。
6章「ヤコブの戦い」では、禁欲主義の自殺志願者クナウエルとの出会いがある。また、ピストーリウスが奉じるものが古い世界ばかりであることから、離れることになる。

彼の理想は「古本くさく」、彼は既往の探求者であり、ロマン主義者だった。突然私は深く感じた。ピストーリウスは彼自身にとって、彼が私にとってあったところのものではありえなくなり、また私に与ええたところのものを彼自身に与えることができなくなったのだ、彼は私をある道に導いたが、その道は指導者である彼を越え、彼から離れねばならなくなったのだ、と。

p.187

こうして、シンクレールは再び孤独になる。創世記32章で指導者を失って孤独となり、天使と戦うことになったヤコブのように、シンクレールは本質的自己(神)との「祈りの戦い」をすることになる。その過程では、もものつがい(外付けの指導者)を外され、一歩も動けなくなってしまうように思われる。

 私は一枚の紙に書いた。「指導者が私を捨てた。自分はまったくやみの中に立っていた。自分はひとりでは一歩も歩けない。助けてくれ!」と。
 これを私はデミアンに送ろうと思った。が、やめた。そうしようと思うごとに、それはたわけた無意味なことに思われた。しかし私は例のささやかな祈りを暗記して、たびたび自分の心の中に向かってその祈りを唱えた。祈りはいつも私について来た。祈りとはなんであるかを、私はほのかに感じはじめた。

p.194

7章「エヴァ夫人」では、デミアンと再会し、デミアンの母エヴァ夫人と出会う。エヴァという名は最初の女性であり、蛇(悪魔)に唆されて原罪を犯したひとである。エヴァ夫人は新しい世界(誕生)を象徴している。また、再び石化したデミアンを目撃する。

「(前略)つまり、古い世界の崩壊が近づいて来るのを感じているのだ。初めはまったく弱い予感だったが、だんだんはっきり強くなった。まだぼくには、自分にも関係のある大きな恐ろしいことが進行中だということしかわからない。シンクレール、ぼくたちはいくども話したことを体験するだろう。世界は改まろうとしている。死のにおいがする。死なずには、新しいものは生じない。――ぼくが考えていたよりも恐ろしい」。

p.231

8章「終りの始まり」では、戦争が起こり、兵として駆り出され、臨死体験をする。臨死体験を通じ、シンクレールは「生まれる」。常に独特な他者として現れていたデミアンと自分が重なる。

しかしときおり、手がかりを見つけて、自分の心の中に――暗い鏡に運命のいろいろな姿のまどろんでいる心の中に――深くさがって行くとき、私はただ黒い鏡の上にかがみさえすればよい。そうすれば、自分自身の姿が――いまはまったく彼に、私の友人であり導き手である彼に似ている自分自身の姿が、見えるのである。

p.246

 

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』

www.kitaro-tanjo.com

鬼太郎パパの声が関俊彦だという理由だけで観に行った。関俊彦は健康に良い。
因習にとらわれる小規模共同体の話。搾取構造。虐げられた者は虐げた者に呪いをかける。弱者から搾取するのは、彼らから借りているに過ぎない。ツケは必ず払うことになる。「悪」とは借りたまま返さない者のことである。
誰も救われなかったけど、繋がった希望はあった。

 

小説『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』

著・森博嗣。Wシリーズの1作目。
AIが人工細胞を得て(これは単独歩行者(ウォーカロン)と呼ばれている)、そのうえ人間にも人工細胞の治療などが施されており、そのため、両者の違いが曖昧になっている世界。しかも、人間にはなぜか子供が生まれなくなっている。基本的には「人間とは何か?生きているとは何か?」という話になっていきそうである。
作中で「赤い魔法」という言葉が登場しており、明らかにS&Mシリーズを下敷きにしている。当該シリーズを4作目までしか読んでいない私はそっちを読んでから、な気がする。
森博嗣の文章を久しぶりに読んだけれど、シュールな笑いが各所に仕込まれている点、適度に飛躍のある論理的な文章が綴られている点など、やはり面白い。

 

ゲーム『8番出口』

https://store.steampowered.com/app/2653790/_/?l=japanese

1時間半くらいでクリア。少しホラー要素のある脱出ゲーム。ループする地下道を進んでいくゲーム。間違い探しの要領で、「異変があればすぐに引き返すこと」「異変がなければ引き返さずに進むこと」を守って8番出口を目指す。
びっくりさせる形のホラーは苦手なので、その類の異変はちょっと大変だった。毎回通路を歩いているおじさんがでかくなったり笑ったりする異変は面白かった。