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感想・備忘録・夏休みの自由研究

映画『シン・ウルトラマン』感想

今日(2022/5/17)、映画『シン・ウルトラマン』を劇場で見てきたので、雑に感想を記しておく。ネタバレ注意。

shin-ultraman.jp

 

全体的な感想から言えば、とても良かった、というところ。

私は「ウルトラマン」という作品と、幼い頃に父親が見ていた横で見ていた程度の関わり方しかしてきていないから、細かいネタなどは「あ、なにか細かいネタがありそうだな」と感じるか、あるいは感じることさえできなかったと思う。

それでも、一度は見たことのあるような、あのぐにゃぐにゃした絵具からタイトルが出現する仕方ウルトラマンが拳を突きだして3段階で大きくなっていく演出など、原作からの直接引用のようなものに弱いから、それだけで涙腺を刺激されたりした(涙もろすぎる)。ウルトラマンの(見た目には)無表情な一瞥も、哀愁を雄弁に語るようでもあり、ぐっときた。

エンドロールで米津玄師の『M八七』が流れてきて、泣いてしまった。この曲は天才なのでみなさん聞いてください。「君が望むならそれは強く応えてくれるのだ」とか「痛みを知るただ一人であれ」とか、凄い。上述のウルトラマンの一瞥を思い出しながら聞くととても涙腺に効く。


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あと、異星人メフィラスを演じる山本耕史が好きすぎた。「異星人」の演技をする山本耕史好きすぎる。山本耕史の異星人演技が好きすぎました。(何回言うの?)

「私の好きな言葉です」「私の苦手な言葉です」好き。メフィラス山本耕史を見たいがためにまた劇場に足を運ぶまである。

長澤まさみの扱いは、私は気にならなかったけど、色々言われそうだな~~と思いながら見ていた。まああれはその後の「人類は愚か」的な観点と、メフィラスがあんまり人類のことを分かっていないことを示すための演出なのかなと思った。

 

完全な生命体の瑕疵

コンセプトとしては、「強大な存在であるウルトラマンはなぜ無力な人類を庇護するのか」という感じだと思った。後から知ったのだが、キャッチコピーとして「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」があるようなので、なるほど、となった。

光の星の生命体(リピアなど)は個で完結した完全な生命体として描写され、それに対して地球人類は群れで生活を営む無力な生命体として描写される。序盤で神永(演:斎藤工)は、幼い命を救い、自らの命は失うことになる。これを見たリピアはそのような他の為に自らを犠牲にする在り方を不思議に思い、それを理解せんとして神永と融合し、時期尚早な脅威から人類を庇護する「ウルトラマン」となる。

要するに、完全な生命体であるはずなのに、自分より遥かに無力な存在に対して、自分に理解できないものを見出してしまったがゆえに、執着することになった、という事だと思う。完全性が唯一含むことが出来ないのは不完全性である。それを理解しようと、リピアは神永と融合して、地球人類と異星人の狭間の存在となる。異星人でいれば異星人との距離が近すぎるし、人類が遠すぎる。物事の適切な理解・認識には、適切な距離が必要である。双方を相対化して観察するための行動。劇中のセリフでも言われていたが、「狭間の存在となることで見える事もある」のだ。そうして、最終的に、リピアは神永を理解し、神永はリピアを理解した。

ただ、このあたりの話、絶対『野生の思考』を読んでいたらもっと理解が深まりそうだ。悔しい。レヴィ=ストロース『野生の思考』は、断片的にしか読んだことがないので、こんど通しで読んでみたいと思う。