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感想・備忘録・夏休みの自由研究

「かき氷」の「かき」とはなんだろう

「かき氷」の「かき」が気になって調べた感想です。

 

はじめに

 「かき氷」の「かき」とはなんだろう。

 そう思って調べたところ、漢字表記としては「掻き氷」「欠き氷」がありそうだと分かった。

 最初にググった際には、「掻き氷」という表記がヒットしたのだが、改めて調べてみると「欠き氷」と書かれていたのであった。

 本記事では、どちらがふさわしいかなどということを述べるつもりはなく、ただ私がこの一連の知識でどんなことを思ったかを書き連ねていくつもりである。

 

①「掻き氷」だという話を見た時

 これを見た時、まずは違和感があった。「かき氷って、《掻かれた氷》だったのか……」と。

 違和感があったので、国語辞書の記載を見てみた。

4 刃物を押し当てて細かく削りとる。「氷を―・く」「かつおぶしを―・く」

dictionary.goo.ne.jp

 「おお……これか。なるほど。」となった。

 

 「掻く」という言葉の用法として列挙されたものを見るに、それに共通する概念は「対象の表面を削る」ということだと思われる。

 違和感を抱いた原因は、恐らく私が「掻く」という言葉の意味をもっと具体的な意味(例えば、「爪で肌を掻く」のような)で捉えていたから(あるいは、「掻く」という動作の対象として「氷」を想定した経験があまり無かったから)だと思う。

 「爪で肌を掻く」ことについて、私は「肌の表面を削る」ようなイメージをもって理解していなかったのだと思う。どちらかというと、肌が痒いときに爪で掻く、というようなことを想像しており、「掻く」ことの動機や目的(肌が痒い)に重きを置いてイメージを抱いていたような気がする。以前似たようなことを聞いて知ったような気になっていたが、今回のことでそのことを自覚できた。

 またそれにより、具体的に「掻く」の意味を認識していた自分と決別し、より抽象的(「何かの表面を削る」)に「掻く」の意味を捉えることが出来るようになったと思う。これは言葉の学習の本質だろう。ただ気を付けなければならないのは、まだ「掻く」を抽象的には理解していない人と意思疎通する際に、抽象的な理解を介した比喩に「掻く」という言葉を使うことに注意を払うことだ。

 

②「欠き氷」だという話を見た時

 それで、「かき氷」は「掻き氷」なのかというと、それは単なる一説に過ぎないようで、上にも引用したgoo辞書の記載だと「欠(き)氷」となっている。

 どっちなんだい!と思わずにはいられないところだが、まあ、これはどちらでもよいのだろう。

 

 そもそもの話、「欠く」も「掻く」も共通点が全くないというわけでもなさそうだ。

 どちらも、「何らかの対象からその一部を分離させる」という、より抽象的な点で共通している(もっと言えば、「書く」や「描く」も古くは壁や板や地面の表面を削りとることで達成された動作だったのだろうと勝手に思っている)。

 

 加えて、「かき氷」の「かき」がひらがな表記であることが多いのは、《その辺りは曖昧で構わないし、曖昧にした方が都合がよい》という事情もあるかもしれない。

 ちょうどこれは、「物事をうまく処理する要領」という意味で「コツ(こつ)」と言うことを彷彿とさせる。元は「骨(こつ)」であったようだ。「運転のコツ」は「運転の骨(こつ)」で、これはもちろん比喩だったわけだが、漢字表記にすると「人骨」の意味が表に出すぎてしまうために、ひらがな表記が採用されているという話だ。

 「欠き氷」にしても「掻き氷」にしても、通常把握されている「欠く」や「掻く」の意味から離れているがゆえに、ひらがな表記で「かき氷」とされることが多いのかもしれない。

 (ただ、手元の『大辞林』(1988年,三省堂) にも「欠(き)氷」と記載されていたりするので、漢字表記にするならば「欠(き)氷」の方が良さそう。)

 

おわりに

 私の今回の学びは、「他人に説明の意味が理解されないときに、どのように説明を変更すればよいか」ということについてひとつの示唆を与えてくれたように思う。

 人間ひとりひとりが、自分でも無意識に、ある言葉の意味をコミュニケーション相手より具体的あるいは抽象的な意味で運用することによって、コミュニケーションの不全を起こしている光景を頻繁に目撃するため、このような気付きはあればあるだけ良い。

 コミュニケーションは難しい。